宗教の話

神域があって、霊界があって、この世の人間があります。神とは宇宙神であり、キリスト教でいうゴッドであり、邪馬台国の八百萬さまであり、呼び名は違っても、ひとつのものなのです。この神の支配下で、地球を、白色人種と有色人種の二つに分けてそれぞれにそれぞれの聖人をこの世に送り出しております。白色人種は、”動物の心臓”等、いけにえを神に捧げる人種です。有色人種は、大地から頂いた、農作物の恵みを神に捧げる人種です。白色人種にはキリストを、有色人種には釈迦を送り出しました。

キリストについて

キリストの母、聖母マリア様の住んでいた地域では、すばらしい頭脳を持った僧侶が、我が子孫を残すために、村の賢い娘と子供が宿るまで、人里離れた所で、夫婦同様に暮らしました。子供が宿ると、僧侶は山の寺へ修行に戻り、娘は村里に帰ります。村人達は、聖母として大切に迎えました。その聖女を大工の青年が頂いてキリストが産まれました。キリストの肉体は、貧しい大工の子として無学で育ちました。でも、このキリストの霊体は、何体にもわたって学問を積んだ僧侶の霊体なのです。キリストは無学でありながら、霊体の声を聞き、人々を救ってきました。しかし、キリストは、己のこの能力は霊体の能力であるにもかかわらず、我の能力として、「我こそは神なり」とおごり高ぶりました。この肉体が十字架の上で手のひらに杭を打たれ、足首に杭を打たれ、動かぬように縛り付けられ、槍の一突きで殺されるのを、神は助けませんでした。肉体が死んだその瞬間に、肉体から霊体が離れ出ました。これが復活です。十字架に縛り付けられているのですから、弟子の前に現れたのは霊体なのです。人々の前に帰って来たキリストは、肉体でなく霊体なのです。何千年もの間、十字架に縛り付けられ、心臓から血を流し、悲しい顔を傾けたキリスト様は肉体を人々の前にさらすことによって、「肉体はおごり高ぶってはいけない」と教えています。神は、キリストの肉体の一番つらい、むごいお姿をさらすことで、人々を救おうとしたのです。肉体を十字架に縛り付けて、復活として現れたのは霊体なのです。この霊体は霊界に留まり、何千年も人々を見守り続けて下さっているのです。時々、この世に奇跡的現象として現れて下さることもあります。

釈迦について

釈迦は、王家の王子として幸せに育ちました。ある日、貧しい人々や病んだ人に出会った時、自分の生活に疑問を感じました。我が妻子に手を合わせて王家と妻子を捨て、我が身の修行に入りました。我が肉体を痛めつける荒行を様々に行い、「なぜ肉体を痛めつけるのか?」という疑問が釈迦の心に現れました。その疑問に対し、座禅を組み、瞑想に入り、肉体の己を無にした時に、再び霊体の声(教え)が聞こえました。「肉体は、物を食べ、人を愛すなどの五欲がある限り、肉体の生き様の中では、聖人にはなれない、私には素晴らしい霊体が入って頂いているのに肉体は愚かである」と悟りました。霊体に相応しい肉体になろうと思ったことが釈迦の悟りなのです。それからの釈迦は、常に霊体の声(教え)を聞き、人々に伝えました。愚かな肉体を霊体に近づけるための戒めを実践し、煩悩を消す事の努力をしました。釈迦の死後、「あのお釈迦様のように生きたい」と人々が願って、お釈迦様のお姿に似せて作ったのが仏像です。人々は、その仏像に手を合わせて悟りを開きたいと願うのです。

霊界では、女の肉体は脈々と続く一族の種を育て育む畑と考えられています。その一族の種は、畑によって違った種類の木になってはならないのです。そのために畑は清らかで、夫のみの種を頂くための畑でなければいけません。霊界においては、殺人よりも、強盗よりも重き罪は、女の淫乱です。

20世紀、キリストと釈迦を女で生み出しています。イギリスのダイアナ妃は、白人にとって理想の家庭の雛型である王家に嫁ぎました。雛型であるべきイギリス王家の嫁は、時代がどのように変わろうとも、貞淑な妻でなければなりません。ダイアナ妃が血みどろになって死んだ事により、ダイアナ妃の生きた生き様は、キリストと同じように懺悔の象徴として、聖女となりましょう。

インドで亡くなった、マザーテレサは、釈迦の生まれ変わりです。人々は、このマザーテレサが生きた行為すべてが理想となり、「彼女のような生き方を理想としたい」という思いから聖女になります。

21世紀になり、今まで発展してきた文明・文化は全て破壊により成立してきました。21世紀からはその再生に入ります。今この20世紀から女の時代というのは、再生の源が女だからです。素晴らしい学者・技術者・医術者を産み、育てるのは母なのです。地球の再生も然り、人類の平和には、国でなくて町でなくて、町の中の家庭一つ一つの核である母親の役目が一番必要です。母からろ過されて、「父」が子供に伝わります。全ての源は母なのです。夫を愛し、夫婦円満な妻の口から、愛する夫の素晴らしさを子供に伝え、子供の脳に善悪の判断が育つのです。夫婦円満なところに生まれた子供が善悪の判断をし、町を作り、国を作り、平和な世界を作るのです。様々な家庭がありますが、肉体の父親を子供にどう伝えるかによってその子の人格は決まります。母親がどのように努力するかによって子供が変わるのです。不幸にも離婚した家庭の母親は、別れた理由とは関係なく、子供には父親の長所を伝えなければいけません。

『幸せな家庭は一様にして同じ。不幸な家庭は様々である』

様々な家庭の母親は、書物・講話を耳にし、受け入れる事で、己の貪り・自己愛を諌めて、己を変えて、子供に接する努力をするためには宗教が必要でしょう。悩んだ時には縁のある宗教にのめり込むのではなくて、学問として宗教を学ぶ努力をしましょうと教えられます。